【第五十五夜】 文質彬彬
C老師は上海ではじめてあったタイプのシナ人であった。
かれはわたしのシナ語教師のひとりであったが、他の誰ともちがった人格でわたしの記憶に残っている。
それは強力な印象ではなく、ふとすると忘れてしまうような儚い印象であるからこそ、尊大で驕慢な自己主張ばかりを見飽きたシナにおける生活の中では、そこだけほっと息がつけるような、そのようなほのかな心温まる場所としてわたしのなかで息づいているのである。
かれは人一倍からだが痩せて小さく、ひょっとしたら栄養不良の環境下で育ったのではないかと思わせるほどだったが、実はかれは恵まれた家庭に育ったということだった。
かれは小さな声で話す。だから上海人としてはまったくの異例であった。そしてその顔にはいつも小さくささやかな笑みがたたえられていた。そしてそれはシナでは普通でよくある愛想笑いや偽の親密さなどとはまったくちがって人の心に届いた。すくなくともわたしにはそうだった。
それは当時のシナ社会のなかでは、まったくの奇跡に思えたほどだ。
かれの風采は決してよいとはいえない。小さな体に大きな頭をのせ、整った顔立ちとも言えずしかも分厚い近眼鏡をかけていた。
さらに、当時はそれしかなかったのであるが、中山服という孫文が日本の学生服から考案したという、日本では人民服と言い慣らされた例の服装であり、しかも着たきりスズメ、何の変哲もないものだった。がしかし急いで付け加えておかねばならぬが、いつも清潔にたもたれ着崩れもない。
勉強だけができる優等生という人のようにも見えた。事実そんな具合であったのかもしれない。
しかし彼のそのシナ古典文学についての知識は深く、しかもそれについて一切のひけらかしなどはなく、こちらが何かたずねない限りその豊富なしかも見識をもった意見が開陳されることはなかった。
だからどれほどの文学知識がその大きな頭脳に満ちているのか知るすべもなかった。
クラス全体の蘇州日帰り旅行のときのことである。
蘇州には多い庭園のなかでも特に有名なある名園での昼食の後で、C老師とわたしは庭を散歩しながらとめどもない話をしていた。
話は唐詩からはじまりいつか宋詞に移り、諸葛孔明の『出帥表』から明清小説まで、何をたずねても即座にそのかそけき言葉遣いとちいさな声で滔々と正統でしかも味わいのある見識が流れ出したものだ。
このような学識と教養が見かけは学生のごとき目立たない小さな人物に潜んでいるのだ。
これがシナの奥深さか、としみじみと感じ入った。そして<文質彬彬>という言葉を思い出した。日本語では<文雅>というべきか、その若くしてすでに磨き上げられた風格に、シナの文人の伝統とはこのようなタイプをも生み出すのか、と感慨深く思ったものだった。
わたしが老師と春ののどかな蘇州名園をそぞろ歩いたその日の記憶を、二十五年来なぜかすっかり忘れていた。
しかしいまなぜかふと記憶の暗闇のそこにやわらかい光があたり、ほのぼのとした温かみとともにわたしに甦ってきた。
わたしが以前、かなり辛らつな言葉遣いでシナ文明とそれが生み出した鬼胎をあげつらい批判していたとき、それでも一抹の後ろめたさに似た気持ちがあったのは、C老師のような人がいてわたしに深く暖かい印象を残していてくれたからだったのだろうか。
わたしは、だからそのような温かいイマージュのほうをこれからは語らなければならないのかも知れない。
かれはわたしのシナ語教師のひとりであったが、他の誰ともちがった人格でわたしの記憶に残っている。
それは強力な印象ではなく、ふとすると忘れてしまうような儚い印象であるからこそ、尊大で驕慢な自己主張ばかりを見飽きたシナにおける生活の中では、そこだけほっと息がつけるような、そのようなほのかな心温まる場所としてわたしのなかで息づいているのである。
かれは人一倍からだが痩せて小さく、ひょっとしたら栄養不良の環境下で育ったのではないかと思わせるほどだったが、実はかれは恵まれた家庭に育ったということだった。
かれは小さな声で話す。だから上海人としてはまったくの異例であった。そしてその顔にはいつも小さくささやかな笑みがたたえられていた。そしてそれはシナでは普通でよくある愛想笑いや偽の親密さなどとはまったくちがって人の心に届いた。すくなくともわたしにはそうだった。
それは当時のシナ社会のなかでは、まったくの奇跡に思えたほどだ。
かれの風采は決してよいとはいえない。小さな体に大きな頭をのせ、整った顔立ちとも言えずしかも分厚い近眼鏡をかけていた。
さらに、当時はそれしかなかったのであるが、中山服という孫文が日本の学生服から考案したという、日本では人民服と言い慣らされた例の服装であり、しかも着たきりスズメ、何の変哲もないものだった。がしかし急いで付け加えておかねばならぬが、いつも清潔にたもたれ着崩れもない。
勉強だけができる優等生という人のようにも見えた。事実そんな具合であったのかもしれない。
しかし彼のそのシナ古典文学についての知識は深く、しかもそれについて一切のひけらかしなどはなく、こちらが何かたずねない限りその豊富なしかも見識をもった意見が開陳されることはなかった。
だからどれほどの文学知識がその大きな頭脳に満ちているのか知るすべもなかった。
クラス全体の蘇州日帰り旅行のときのことである。
蘇州には多い庭園のなかでも特に有名なある名園での昼食の後で、C老師とわたしは庭を散歩しながらとめどもない話をしていた。
話は唐詩からはじまりいつか宋詞に移り、諸葛孔明の『出帥表』から明清小説まで、何をたずねても即座にそのかそけき言葉遣いとちいさな声で滔々と正統でしかも味わいのある見識が流れ出したものだ。
このような学識と教養が見かけは学生のごとき目立たない小さな人物に潜んでいるのだ。
これがシナの奥深さか、としみじみと感じ入った。そして<文質彬彬>という言葉を思い出した。日本語では<文雅>というべきか、その若くしてすでに磨き上げられた風格に、シナの文人の伝統とはこのようなタイプをも生み出すのか、と感慨深く思ったものだった。
わたしが老師と春ののどかな蘇州名園をそぞろ歩いたその日の記憶を、二十五年来なぜかすっかり忘れていた。
しかしいまなぜかふと記憶の暗闇のそこにやわらかい光があたり、ほのぼのとした温かみとともにわたしに甦ってきた。
わたしが以前、かなり辛らつな言葉遣いでシナ文明とそれが生み出した鬼胎をあげつらい批判していたとき、それでも一抹の後ろめたさに似た気持ちがあったのは、C老師のような人がいてわたしに深く暖かい印象を残していてくれたからだったのだろうか。
わたしは、だからそのような温かいイマージュのほうをこれからは語らなければならないのかも知れない。
この記事へのコメント
かなりご無沙汰してしまいました。
あるところでお引っ越しの話題がでたので来ました。