テーマ:上海

【第六十夜】 哀しみのエトランゼ

淮海路と茂名南路の交差点、国泰電影院(キャセイ)のはす向かいに「老大昌」という洋菓子屋があった。しかし前世紀最期の年の上海再訪では、そこはデパートに変わってしまっていた。 「老大昌」の洋菓子はしかしフランス菓子ではなく、例によってロシア風なのであった。そのころの洋風はすなわちロシア風の代名詞であった。おそらく「中」ソ蜜月時代にフラ…
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【第五十九夜】 金儲けの秘密

前々回で述べた上海の某大学専家楼の責任者はもちろん党員だった。その名を仮にZ先生としておく。彼は北京人だが上海へ来た経緯は知らない。興味があったが彼は語らないのだ。 訛りの強い上海人とちがい、Z先生の普通話は北京方言の語尾のR化はなはだしいとはいえ耳に心地よいものだった。彼は党の路線に忠実ではあったが融通の利かない堅苦しい人物では…
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【第五十七夜】 専家楼のぬし婆

「専家」とは「ジュアンジァ」と読む。シナ語でスペシャリストのことであるが、大学などで外国語講師として招請した外国人をこう呼んだ。明治初期のわが国にも似たような制度があった。 「専家楼」とは、すなわち彼らが住む宿舎である。 わたしが上海に遊学中に、その所属する大学の専家楼にはよくでかけた。前回のべた和平飯店や錦江飯…
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【第五十六夜】 茂名南路の明かり

わたしが上海にいたころ、もっともよく出かけたのは南京東路と茂名南路だった。前者は和平飯店があり、後者には錦江飯店があるからだ。 シナ語で「飯店」とはホテルのことであるが、わたしは文字通り「飯を食う店」として利用していた。 そのころはまだ食糧配給切符「糧票」というものがあった。つまり食糧が充分ではなく配給制なのであった。ゆ…
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【第五十五夜】 文質彬彬

C老師は上海ではじめてあったタイプのシナ人であった。 かれはわたしのシナ語教師のひとりであったが、他の誰ともちがった人格でわたしの記憶に残っている。 それは強力な印象ではなく、ふとすると忘れてしまうような儚い印象であるからこそ、尊大で驕慢な自己主張ばかりを見飽きたシナにおける生活の中では、そこだけほっと息がつけるような、その…
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【第四十七夜】 神楽坂をくだって

いぜん、赤城神社下にあったある場所に勤務していた。あとで、そのあたりにはパリへ旅立つ前の金子光晴が住んでいたことを、彼の『どくろ杯』だったか、で知った。それはともかく、場所柄、神楽坂を上り下りしてぶらつくことが多かった。 しかし、不思議とそのころのことを夢に見ることはなく、ただときおりふと記憶のそこから浮き上がる泡のようなあれこれ…
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【第四十六夜】 ざわめく夜

ひさしぶりに夢を見た。どうも上海のようだが確かではない。ただ人が溢れかえるその様子は、上海南京路のようにしか思えない。 わたしは実に久しぶりにシナ語を耳にしている。 すこし懐かしい気分なのはなぜだろう? しかし見知った人間は誰一人としていないのだ、ただ遠慮ないあたりをはばからぬ大声がわたしの前後左右を飛び交っているだけ…
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【第四十三夜】 断ちきれない泡

もう二十数年もたったというのに、折にふれてぽっかりと浮かび上がってるくる光景がある。想い出というほどのものではない、ただのなにげない出来事なのではあるが。 その夜は、他の大学の友人とおそくまで話し込んでしまい、少し離れた自分の大学の宿舎に帰るころは、もう道にはほとんど人通りはなかった。 それでも道筋にある工場群は、闇に溶け込…
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【第二十九夜】 上海、沈む

彼女はみるからにユダヤ人然とした風貌をしていた。肌の色と眉が濃く鼻先も丸まっていた。彼女はNYからきたシナ学の学者であった。 体つきは小さく、いかにも利発そうな黒い眼を活発に動かすようすは、なにか小さな動物を思わせた。 彼女は、わたしのそのときはまだ結婚はしていない今の家内の友人で、よく三人で食事をしたものだ。 そのと…
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【第二十四夜】 人生でいちばんさびしいクリスマス

錦江飯店のむかい、茂名路をはさんで西側に錦江倶楽部があった。元来ドイツ・クラブであったものを、第一次大戦戦勝国フランスが接収してフランス・クラブとして使用していた。赤化後は中共高級幹部のクラブとなり、わたしたちが上海にいた当時は一般に開放されてまもないころであった。その後、プリンスホテルの投資により上海花園飯店となった、ということだが、…
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【第二十二夜】 逆流

この一篇は、イザ版<マルコおいちゃんのヤダヤダ日記>で夢想千一夜シリーズの第一回としてエントリーした個人的には記念すべきものでした。その後、<マルコおいちゃんのシナにつける薬>に、以下のような前文をつけて採録しましたが、あまり歓迎はされませんでした。あちらのブログの性格上、読者の要求にそぐわなかったのかしれません。 そこでこの<夢想千…
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【第十八夜】 上海からの呼び声

いつもならワンピース型のずんどうの寝巻きで就寝するのに、昨夜はなぜかパジャマにしてみた。それは最近、上海から欧州旅行にやってきた友人がお土産としてもたらしてくれたものだ。たまにはかわった風もよかろうと思っただけのことで他意はなかった。翌朝目覚めるころ電話が鳴った。お察しのとおり、案の定、上海の彼からだった。またもやシンクロニシティである…
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【第十五夜】 手からこぼれた幻

茂名北路だったろうか、小さな花屋があった。 今や「酒吧」が軒をつらねる人気スポットらしいが、そのころはプラタナスの木陰に、ひっそりとその花屋があるだけの閑散とした通りであった。 花屋といっても、たいした花を売っているわけではない。まだそのころは、住民は満足に食べられない時期で、花を買うどころではなかったはず…
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【第八夜】 真昼の迷路

たしか福州路と山東路の交差点だったと思うが、違法コピーした書籍を販売する店があった。彼女は、そこで諸橋大漢和辞典を購入した。印刷具合のすこぶる劣る代物であったが、用に足ればそれでよいということらしい。 帰国時には処分してしまえばいいのだから、とすこしずるそうに微笑んだ。 納品配達してくれるということなので、お昼にはまだ間がある…
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