【第四十九夜】 はじめてのパリ

それは、北京からシベリア鉄道でベルリンまでを一週間かけて旅したその夏のことだった。わたしははじめてパリにいた。モスクワからの列車はパリ行きだったのであったが、ベルリンで下車したから、その後のことである。

八月のパリは閑散としていた。休暇で多くの人々が首都を抜け出していたからだ。街で目に付くのはドイツ人旅行者と道路掃除のアフリカ人だけだった。

はじめて見るパリは、ああ、ここはあの映画のあのシーンに出てきた。開高健が描写したそのままのたたずまいの東駅。そして森有正のノートルダム。などなどいっぱいにつめこまれた偏見のフィルターごしの風景であったから、それは心象風景と呼ぶべきものだったろう。

そうだ、わたしがかって夢想したパリは、いささかしょぼくれてはいるものの、やはりパリ以外の街ではなかった。

見るべき観光名所はほとんど見たが、印象に残っているのは些細な事ばかりである。

<パリ・スコープ>という「ぴあ」のような催し物ガイドで、クロサワの『赤ひげ』が上映されている映画館を見つけ、それをさがしてまわって疲れ果てた午後、一休みしたいかにも中流らしき住宅街の中の小さな公園の美しさ。そこを厳格に管理するガードマンが、芝生に入る者を見かけるたびに弾き鳴らす笛の音。

ノートルダム寺院の裏手を少し行ったあたりのユダヤ人街に漂っていた独特の香料の匂い。

サン・ドニからポンピドー・センターへつづく裏通りに昼間から立ち尽くす娼婦たち。その口に運ぶクロワッサンのおいしそうだったこと。

そんなこんな想い出がきりもなく次々と浮かぶ。

一年間のシナでの生活でしぼみこんでいた感覚が一気に目覚めたようだった。そのときはまだまだ本当にきづいてはいなかったのだが、わたしは個人的に重要な曲がり角をまがったばかりのところだったのだ。

いまから思い返すと、あのときシナから日本へ直接帰国せずによかった、とつくづく思う。もしそうであったなら、日本ってなんと素晴らしい国であろうかと、現実以上の過度の幻想を抱いていたに違いない。もちろん日本はよい国だ、しかしその素晴らしさは日本を出て初めてわかるほどの浅いものではなくて、国の中で暮らしていてしみじみと感ずるものなのだ。

つまりそれは絶対であって相対的なものではない。そんな国をさがしてもおそらく他には見つかることはあるまい。もちろんそれは、わたしが日本人だから絶対なのであって、外国人なら相対的な価値なのであろうが。

こうして国を離れて異国に暮らしているからそう思うのではない。パリで感じていたシナでの悪夢がそれから先まだまだしつこくわたしに取りついていたからでもない。

それにしても日本へとたどりついた外国人の幸福を今は思う。わたしもまたいつか日本へとたどり着くことができるのだろうか?

はじめてのパリでわたしはしきりに日本のことを考えていた。もし日本から直接パリをおとずれたのであったら、それほど国を想うことはなかったであろう。

言葉と食事、それが文化の中核であろうか?わたしは文化的にパリにはなじめないものを感じていた。


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