【第五十四夜】 R伯父さんと「ユダヤの陰謀」

R伯父さんの母方の祖父はユダヤ人だった。それゆえその身分証明書には<J>の文字が印刷され一目でそれと検査する人間に知れるようになっていたという。

R伯父さんは戦争が始まると16歳で徴兵され6年間というもの、つまり第二次世界大戦のの全期間中、前線をあちこち転戦させられ帰宅を赦されなかった。

すなわちユダヤ人は早く死ね、ということだったのだろう。

しかし伯父さんは無事帰還をとげた。何者かの加護があったのだろうか?

さて伯父さんが東方戦線に派兵されていたころ、ハンガリーだったかルーマニアだったで、アーモンドの豊富に収穫される地方に駐屯していた時の事らしい。

母親のアマレット好きを思い出した伯父さんは、大量にアーモンドを仕入れて故郷の母に送ったとのことだ。

母はたいそうよろこんで早速多量のアマレットを焼き上げ家族みんなで戦争に行って帰ってこない伯父さんを懐かしみながら、彼の故郷と母を思う心に涙しながら午後のお茶とともにそれを食したのだという。

さて、お茶のあと仕事にもどった父が急に気分がすぐれず帰宅した。

しばらく休んでいたがどうにも回復しない父は医者にかかった。何を食したかとたずねられて、アマレットしかも多量に、と答えた父に対する診断はアーモンド中毒、ということだった。なんでも、アーモンドに含まれるある成分は毒性で苦いアーモンドにはそれが多く含まれるのだという。

その晩、地区党委員会のナチ党員が家をたずね、あれこれ尋問したという。

その党員によればユダヤ人である息子(伯父さんのこと)がそのドイツ人の父を毒殺しようとしたのではないか、という嫌疑だったらしい。

すなわちこれこそ家に代々言い伝えられる「ユダヤの陰謀論」であった。


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数十年後、身内となった日本人がきたというので伯父さんはわざわざ遠くから会いに来てくれた。

伯父さんはいささかくたびれた風情だったが、枯れたような風格のある笑いが人生の重みを感じさせる人だった。

その後しばらくして訃報を聞いた。後から思えば、あれは伯父さんがお別れのためにやってきてくれたのだった。


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