【第五十一夜】 バロック教会の足音

夢でどこかの教会にいた。ドイツ南部にあちこち点在するバロック教会のひとつだろう。明るい天井画から天使たちが落ちてきそうな午後である。

わたしは師と二人で隅から隅まで輝かしく厳粛な中にも生の歓びに満ちた世界にうっとりとしていた。師の歩む速度はきわめて遅い。

一度なぜかと尋ねたことがあった。

なに、子供たちが幼いころその歩く速度にあわせて散歩することで習慣になっただけです。といいながら目はいつものようにこちらを試すようにかすかに微笑んでいる。

どうして僕はこんなにドイツバロックが好きなんでしょうね?とわたしにたずねるがわたしは知りようもないのだ。

師は、ご自分の研究とはとくに関係もないバロック教会をたずねてドイツ・オーストリアをたずねることを趣味とされている。

しかしわたしはその旅行に同伴したことはいままで一度もない。

たまに旅先から、こんどそちらにお邪魔します、ご都合はいかがですか、という電話をいただきうれしいやらビックりするやらということが何年も続いた。

ところがある事情から、師のバロック教会めぐりも途絶えてしまっている。

師の教養は深く、和漢洋いずれをとっても、わたしのごとき者が太刀打ちできようもない。はいはい、とすなおにそのお説を拝聴するのがわたしのできるすべてである。がしかし、時にはあえて突っ込みを入れてみることもあるが、あなたの意見もまあ面白いですねえ、と暖簾に腕押しであることは決まっているのだ。

その師と夢でもご一緒にバロック教会めぐりができようとは実にうれしい。


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実は、わたしと家内の新婚旅行が南ドイツのバロック教会巡りであった。義母の黄色いフィアットでトボトボとあちらこちらと走り回った。

だから高名な教会はほとんど訪れており、それが師とめぐり合ったころに話が妙にあって、わたしがあえて無謀にも師に私淑するきっかけとなったわけでもあった。

たまたまわたしのかじったシナ学では大先輩に当たり、さらにわたしの直接お世話になった教授が師の先輩であったこともあり、共通の話題はあったわけだ。

しかし師とわたしの交情の柱はまちがいなくバロック教会への趣向の一致なのだ。だから夢で師と教会めぐりをしてもなんの不思議はない。

ただ、しばらくお会いしない師の健康が少し心配になった。いつまでもお元気でいてほしいものである。そしていつの日か本当に二人でバロック教会を巡ってみたい、としみじみと目覚めてから思った。




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この記事へのコメント

たみたみ
2008年11月24日 09:59
できるといいですね!
次の夏にでも~ (笑)
アムゼルくん
2008年11月24日 10:20
おはようございます。これから寝ようかな、と思っていたところです。
この前の一時帰国でも電話だけでお会いすることかないませんでした。少し気にかかります。
来年の夏か、夏と考えるだけで心が弾みますが・・・
にほんはにほん
2009年02月17日 03:24
バロック…何故に惹かれるんでしょう?
私もわかりません。
アムゼルくん
2009年02月17日 06:07
美しい、ということがまず第一なんでしょうが・・・

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