【第五十夜】 M先生の思い出

別の場所で、マオ・ドンの『子夜』について話をしたのだったが、それでマオ・ドン(茅盾)の専門家であるM先生のことを思い出した。あえてお名前は記さずとも少しシナ文学を知る方なら、ああ、あのM先生、とわかるはずである。

しかしわたしは先生の弟子でもなんでもない。ただ一年だけその講義を拝聴しただけなのである。先生は少しもきどったところがなく、かなりイージーゴーイングな面もあり、それで時には、「今日は休講にして少しおしゃべりでもしませんか」といわれて急遽喫茶店でのだべりとなったこともあった。

先生はかなりの酒量らしく、講師室で召される紅茶の中身の半分はウイスキーだとのうわさもあった。しかし喫茶店ではそうも行かない、不味そうに紅茶をすする先生の黒々とした長髪がいつもはらりと前に落ちる、それを面倒そうにかきあげる、その様子がいかにも文人然としたお方であった。

先生ご自身の勉強は、その専門であるマオ・ドン(茅盾)についての日本ではほとんど唯一の研究入門書である『薄命の文学』に結実している。平易な文章で堅実な研究成果が淡々と述べられているのだが、そこには表ざたにはなっていない茅盾の秘密もちゃんと言及されている。というより、それはM先生の研究により明らかになったものなのである。

それは茅盾は、中共設立時の北京と上海の連絡員であり党設立以前に大変な「功」をたて、しかしずっと秘密党員であった、ということだ。彼は、魯迅とも近く、それは思想精神ばかりではなく、一時は上海での住居も隣接していたほどなのだが、シナ文壇の中心人物の一人であった。

誰にでも受け入れられるその穏やかな性格で、激しい左翼内部の論争と国共両党のテロの中で、革命の動乱を生き抜いた茅盾は、中華人民共和国成立後は筆を絶ち、文革の嵐にも批判をまぬがれ、「紅楼夢」研究に静かな晩年を送った。ゆえに1930年の作品・『子夜』がその代表作になった。


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歴史はめぐりパラダイムも変容した。魯迅や茅盾がいまの自国の有様を眼にしたらいったいなんと思うことであろう。M先生のその後のことは存じ上げない。あまり表に出たがらないご性格でもあるし学問対象が渋すぎることもあって、ほとんど一般社会に知られることもなかったから、学問の世界とは無縁のわたしには知るすべもない。

そのころは、わたしたちは言うに及ばず、先生もまだお若かった。その当時の先生の年齢を自分がはるかに超えてしまってから、優柔不断にみえた先生の言動の意味がいまやっとしみじみとわかってくるのである。

そのお姿も薄明かりのような記憶の中でおぼろになってしまったが、しかしその薄明のかなたになにか暖かいものが息づいているように感じられるのは、それがわたしの回憶であるからなのであろうか。



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