【第三夜】 空中散歩

黄昏のなかで神田川が暗く流れている。わたしは橋の上に立って大曲の方向を、ただ何も見るともなくぼんやりと眺めていた。

橋といっても歩道橋である。わたしは飯田橋職安の方から牛込の方へ外堀通りと目白通りの交差点をわたって行こうとして、ふと立ち止まっていた。

頭上に首都高池袋線がのしかかるように重い響きをたてて大曲の方へ折れ曲がっている。

なにかが隆慶橋のあたりを横切るのが目に入り、気になって立ち止まったのである。あれは一体なんだったのだろうか。神田川の上をふんわりとした何かがよこぎっていったのだ。

疲れてはいたが幻覚をみるほどのものではない。

ふと幼きころのことを思い出していた。

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その晩、母はわたしを背におぶって暗い道をお寺のほうへゆっくりと歩いていった。

遅い春のことであったろうか、どこかで強い花の香が匂っていた。

母はなにも言わずただ歩いていった。母とわたしは、山門の中をふと同時にのぞいた。あまり広くはないお寺の境内に、なにか火のかたまりのようなものが転がってゆくのが見えた。

人魂だ、と思った。

母は、だれかが焚き火をしてよく消火しなかったのだろう、と言った。火の不始末は危ないよ、とも諭した。

母もその火のかたまりがころがってゆくのを見たのである。しかしわたしは母がわたしを怖がらせまいとして嘘をいっている、と思った。

記憶はそれだけである。なぜその晩、母はわたしを背負って夜の散歩なぞに出かけたものであろうか、ずっと疑問であった。

40数年たったある日、わたしはふと母にその記憶の中の疑問を呈してみた。

母は、すこし思い出すようにしていたが、こう答えた。

そう、そんなこともあったっけ。忘れることもできない記憶だよ。だってあの時、わたしはお前を道づれに親子心中しようと思ってたんだからね。でもあの火のかたまりがころがってゆくのを見たあとで、ふっと憑き物がおちるように、その気がすっかり失せてしまったんだよ、と。

母と、祖母の関係がよくないことは子供心にわかってはいたが、たぶんそのことで思い余っていたのであろう。母もそこまで追い詰められるほどの苦労をしたわけだ。しかしそんなことであったとは全く思いもよらないことであった。

ところで、じゃあ、あの火のかたまりはいったい何だったのだろうか?





「こんなところでボーッとなにをしてるのよ?」

と声をかけられた。シナ語教室でいっしょの女の子であった。といってももう三十すぎだから年増といってもいい。

外堀をわたってきた風が、彼女の短い髪をそっと揺らせていた。その後ろを黄色い総武線の電車が通り過ぎるのが見えた。橋が少し揺れているのが心細く感じられた。

「いやなにも、別に自殺しようなんてことはないからご心配なく。どう、せっかくだからその辺の居酒屋で一杯?」

「いいわね、わたしも今夜はなんだか飲みたい気分だわ。」

そこで二人はいつものように神楽坂の方へ向かうために歩き出した。向こうで、市谷のあたりが薄明るく湿ったような光をはらんでいる。

「あっ、今日は駅の向こうの沖縄ソバがたべたいな。」

という彼女の突然のご託宣にしたがい、われわれは九段下の方へ方向転換した。

後ろから追い抜いていった男二人が、早口の上海語をしゃべっていた。

そうか、また東京にもどってきたんだな、とわたしはつくづく思った。この歩道橋で空中散歩をするのも実に久しぶりだったのである。

上海語を思わずまた耳にして、上海でなくしたものが、胸の隙間にふきこむ風のせいもあってか、またありありとよみがえってきた。

わたしは、まだその歩道橋の上でいつまでもふわふわとさまよっていたいな、と思っていた。


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この記事へのコメント

kuronekosann
2009年02月28日 09:46

お久しぶりです。

私も20年以上飯田橋界隈で過ごしていますから、もはや「心の故郷」って感じになっています。

今、駅の南側は再開発で凄い事になっています。

栄枯盛衰とはいえ、あまりに変わってしまうのもちょっと寂しい気がしますね。

ところで、おいちゃんはいったいいくつブログ持ってるんですか(^^;

此処に来るのは初めてでした。
amselchen(マルコ)
2009年03月02日 03:05
ヤマトさん、
いらっしゃいまし。いくつ風呂具があるかはもう忘れました(苦笑)、でもアクチュアルなものはアムゼルシリーズ二本だけです。
隆慶橋あたりの変わりようは数年前の一時帰国のさい眺めてまいりましたが、非常にがっかりしました。とくに牛神社参道の商店街が消滅したのは自分にとっての最後の東京での生活の一部が破壊されたような気分を味わいました。また丸の内線後楽園駅近辺の変わりようにも味気ない思いでした。
ヤマトさんの昔ながら光景を残す伝通院近辺のリポートに期待します。

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